『 桃林窯 器こぼれ話 』

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臆病者

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僕が初めて車の運転をしたのは16歳か17歳の時、高2だったと思う。
幼馴なじみのトシの家で車を買い替えるときに新車が届くまでの間、今乗っている車を自由に使っていいというのだ。
当時はまだ各家庭で車がもてる時代ではなかったが、両親とも小学校の先生だったトシの家は比較的裕福だったせいか早くからマイカーを持っていた。
厳格なトシの両親がなぜその時に車を使わせてたくれたのかは未だに分からない。
その時僕らは免許を持っていなかったのに・・

トシは僕ともう一人、マナに声をかけドライブに出かけることにした。
トシは混んでいる道は避け、車通りの少ない道を選んで走った。

その頃の佐賀空港はまだ予定地が決まっていただけで、広大な干拓地は高さ6メートルの堤防に囲まれ孤立した荒れ地だった。
予定地をぐるりと囲んだ堤防には取り付けの坂道が数か所あり、そこを登って行くと車がすれ違うことができるくらいの整備された道が延々と続いていた。

トシに運転を代わってもらい、日産サニーのクラッチ操作もわからないままエンストを繰り返した末にゆっくりと車は動き出した。
ゆっくり、ひたすらゆっくり・・・
僕ともう二人を乗せた巨大な塊が静かに動き出したことに驚き、新しい世界に踏み込んだ高揚感に面食らった。

そんな人気のないところでもたまに対向車がくることがある。
車が近づいてくると怖くて、怖くて・・・
道の端に車を寄せたいけれど道から落ちてしまうような気がしてハンドルが切れない。
対向車の運転手はそんな僕を見てけげんな顔をしながら遠ざかって行った。
無理もない・・子供が運転していたのだから・・
振り向く余裕はなかったが、相手はきっと身を乗り出してこちらを見ていたに違いない。

運転をマナに変わって、次にトシ、また僕に代わってもらったけれどスピードが出せない。
ゆくり、ゆっくり・・・

当時の車は約7年、走行10万キロが寿命とされていたが、
その車は下取りにに出された後タクシーとして活躍し、
数年後に30万キロ以上を走った珍しい車として新聞の記事になったことをトシに教えてもらった。

スピードが出せない臆病者だと二人に笑われながら運転をトシに代わって家に帰ったこと、そしてすれ違った対向車の顔が今でも忘れられない。   ナン






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by my_utuwa | 2018-01-28 22:21 | Comments(0)